(徒然)

土曜日の夕方テレビで放送されているアニメ番組「名探偵コナン」を見ていて感じたこと。

モブキャラに責任を持つ人の仕事が適当すぎる。あんなファミリーな海水浴場に来る若い女性がみんなあんな水着を着ているなんてことはありえない。製作者は海水浴場に行ったことがないかあってもなにも見えていないか(クリエーターとしていかがなものか)、自分の妄想寄りイメージ(たぶん男性向け週刊誌のグラビアページ由来)で上書きして作画している。きょうびそれはだめだ。そういうとこだぞ。

一話30分で毎週放送されるタイプのアニメ番組は人手がかかりすぎている。それだとコストがかかり過ぎだし絵としてのクオリティも上がらないし、おなじようなものが再生産されているだけで全然クールじゃない。とっとともっとITを利用して少人数で製作するべきだ。コア製作者のセンスがより際立ちすばやく提供できるようになるべき。いつまでも手塚アニメの具体的手法とその結果現れるものにこだわっていてはいけない。マインドやテイストを継承していくのはいいが。

Twitterは発言の敷居が低く多種多様な意見のるつぼか、というと、そうと言えなくもないが、事実や意見や反論を持っている人が発言しているというよりかは、ツイートしたい人がツイートしているだけ。それ以上でもそれ以下でもない。対話とはとても言えない。対話だと思ってTwitterに接していたら心が腐ってだめになってしまう。

新型コロナウィルスの感染拡大が止まらない。自衛してなるべく感染しないように、他人を感染させないように、できることをしていくしかない。望んだわけではない辛くたぶん長い戦い。

(徒然)

Twitterはいろんな人が意見を述べる場でもなく(なのでTwitterに世論を見ようとするのは間違い)、Twitterでなにか言うことに強い動機を持っている人がなにかを言う(そしていいねやリツイートを稼ぐ)場であり、それ以上でもそれ以下でもない。

NHKの魔法のレッスンのサーシャ・バインコーチの回を見て感動している。僕はサポーター気質なので、誰かの力になることの達人は本当に憧れる。

「間違ったスクラム」なんてないというのが僕の意見。正しいスクラムなんてない。間違いうるのはスクラムが悪い。現場が悪いなんてのは、本質的にはありえない。

間違ったスクラムが駄目というなら、スクラムの本質をより理解しているものが偉い、というマウント合戦が始まってしまう。強いものが正しいという世界観じゃだめなんだよ。排他はだめ。すべてを受け入れるところから始まる。

新型コロナウィルスのせいでもう2ヶ月名古屋アジャイル勉強会の勉強会が開催できていない。そしてこれは当分続きそうだ。残念。でもしょうがない。今は有伏のとき。

馬を水場まで連れて行くことはできても水を飲ませることはできない

ほんそれ、という気持ち。

多くのビジネス系マインドセット読み物が、自分がなにかを身に着けたい自分のすべきことを知りたい人向けで、その次はリーダー向けの指示の仕方の説明。ボトムアップで他人を変える方法ってのは本当に情報がない。

変容を求めるなら踏み込まざるを得ない。でも正直僕はそれがいやなんだ。踏み込むと、彼らはいやがったり怒ったり自己防衛のために反発するから。以前それで失敗してトラウマになってるんだ。正論やなんらかの権威や後ろ盾を持って彼らを責め立てることができれば勝てるかもしれないけどそれではなんの解決にもならない。

うまくいかない仕組みを理解し説明するのに、他者を悪く言う(無能とか悪意があるとか老害とか)のあるよね。ツイッターとかでよくみるよね。ある視点から見ればそう見えるんだろう。絶対的に正しい視点なんてないし。でも、チームで成果を出したいのなら、手を結ぶしかない。非難はできない。相手が間違っているとは言えない。対立構造を作っちゃだめなんだ。

でもこれは厳しいしばりだな。囚われすぎなのかも。あー、わかんないな。

リモートワーク(自宅勤務)

2日ほどやってみました。その後3連休だったので、計5日間家にいました。

  • 大変快適だった。
    • 静かなところで仕事できるのがこんなに快適だとは。
    • 家っ子なのでもともと家にいるのがすきなんだけど。
    • Spotifyありがとう。
  • 一応自分のためにも上長や同僚のためにも、朝イチで今日やることをメールし、夕方には今日やったことをメールした。見つかった課題や知見も夕方のメールに書いた。
  • 音声通話はほとんどしていない。打ち合わせが(Skype MTGも含めて)あるなら出社する。
  • このまま週に3日くらいは自宅で仕事したい。

上司や先輩がチェックゲートになるという前提が崩れるということ

前回のエントリ(の特に追記部分)の続きになりますが、上司やレビュワーの判断がチェックゲートになるプロセスを採用しているけれど上司とかレビュワーとかが必ずしもエキスパートでないときにこじれた事例ということになりますかね。上司や先輩は経験がありチェックゲートになり得るという大前提が歴史ある組織には普通にあるとは思いますが、ドメインやテクノロジーの変化はそれを揺るがすところがあります。そういう齟齬を普通に感じ取って普通に受け入れ適応すればいいんですが、それが難しい人や組織はありますよね。イチかゼロかでもないのが、また話を難しくします。

あまりにも難しい話題になってしまったので、なにかヒントにならないかと思って 人間関係づくりトレーニング/星野 欣生 著/金子書房 刊 という本を注文してみました。

職場における人間関係やコミュニケーションについて考えていて、なにかヒントになるんじゃないかと思っていることはいくつかあります。

  • 非認知能力トレーニング(コグトレ等)

    認知の歪みとか表現力のなさがすれ違いや誤解を生んでいる気がするのでコグトレしたら効き目あるような気がします。ただ、多くのコグトレは子供とか教育下の人向けで、会社でコグトレなんてなんで俺が?って思われそうなのでそのあたりの工夫は必須のような気がします。

  • 認知の歪み

    別に意地悪して他人の気持ちを無視しているのではなくて、自分が抱えている不安やストレスによって余裕がなくて他人を慮ることができない、不安やストレスに対抗するために作り上げたメンタルモデルや認知モデルを維持するためには不都合なことには目をつむらざるを得ない、ということがあるように思います。これらをゆっくり時間をかけて解きほぐせばよくなる気はしますが…。これも当事者たちの動機がなければできない。素人が踏み込めるところを超えてる気もしますし。

会話が多いからといってコミュニケーションがよいわけではない

知人の職場の話。オチもないただ残念なだけの話なので、そういうのがいやな人は読まないでください。

彼の職場の隣のグループ(同じ島の対面にいる)の人たちは会話が多い。事業所のなかでも最もよく会話しているグループようだ。しかし、会話量が多いからといってかならずしもコミュニケーションがよいわけではない。彼らの会話を聞いていると、何を言っているか分からない、どうしてそうなるの、いやそうじゃなくて、みたいなことを非常にしばしば言っている。

そのグループには論理立てて話すのが得意じゃない人がいる。

その人とのコミュニケーションに回りの人が苦心しているのは分かる。だがその人だけが問題というわけではなく、共依存のような状態になっているように見える。コミュケーション弱者のメンバーに接する時のまわりの人の態度は、会社や仕事や自分自身に対する不満やストレスのはけ口を見出しているかのようだ。コミュ下手メンバーとの会話がしばしば滞るときに、そのメンバーへの指摘や苦言を繰り返す。ずっと言っている。もはやメンバーへの教育的効果などなく、ただのはけ口でしかない。それでも建前上は助言だから、止められることもない。

コミュ弱メンバーはかなりストレスを貯めているようだ。たまに話を聞くと、普段はあまり反感を直視しないようにしているようだが、話しているとやはり不満の言葉が口をつく。そして悲しいことに、その言葉は非難の言葉だ。本当なら自分の方が正しくて彼らこそ非難されるべきだ、と。まあ、人間だもの、そういう思いになるだろう。そしてそういう客観的な気持ちは第三者だから持てるもので、当事者はそんな生ぬるいことを思わなくても不思議はない。

こんなのをなんとかすることは難しい。当事者たちにはこれをどうにかする動機はなく、技術もない。誰かがよほど強い動機を持って取り組まなくてはならないだろう。でもそういう人はそうそうはいないのだ。

2020-03-14 追記

そのグループのリーダー氏は経験こそ長いが、それほどリーダーとしての資質に恵まれているわけではない。いっぱいいっぱいな感じで、グループ全体を長期的な目で見てあまり人を育てるとか支援するというのは得意ではなさそう。後述する年長者について、なんらかの指導を行っているところは見たことがない。

メンバーのうち、二人いる年長者は、どちらも現業務内容にはあまり通じていない。そして新しいことに積極的にあるいは楽観的に取り組んでいく、というタイプではない。結果的に、あまり顧客や関連部署との前面には出ず、ご意見番であったり他メンバーのサポートという立場に落ち着いているようだ。業務知識があまりないので彼らの助言はしばしば的を射ていなかったり見落としがあったりするのだが、それを指摘できる/する人はいない。彼らなりにできることをやっているのだ。彼らが勤続年数相当の働きをしていないことに対する負い目は彼ら自身の内面のストレスとなり、それは形を変えて出現する。

年長者の一名は、主な担務としているレビューや後方支援を行っている間しばしば、なんだこれ、わけがわからん、いいかげんにしろよ、やってられねえ、といったネガティブ発言が出る。正直な気持ちなのだろう。ただ、レビュイーや被支援者のストレスは倍増する。

もう一名の年長者も同じようにレビューや支援を行っていて、その相手に対してずっと説教をしている。業務知識に踏み込まず、論理性とか常識とか、あるいは人間関係の政治的なことについて、妙に緻密な論理建てをして、それに基づく説教が永遠と続く。

そんな年長者と一緒に仕事をしているのが、先に述べたコミュ障メンバーだ。彼はメンバーの中では最もIT知識があり、若く根気もあるのだが、いかんせん論理性と説明力がない。感覚は鋭いが発想に偏りがあり、見落としやミスの多さも際立っている。そこに加えて説明力がない。自分が緻密でなく説明力もないことは自覚があり、他者との会話のなかで、他人が発した言葉を拾い借りることで説明を補完しようとする。それは健気な努力が身につけさせたものなのだが、必ずしも良い方向に機能しない。話相手にしてみれば自分の言葉が借用されていくのがいぶかしいし、そこにひっかかるともうもともと分からない説明がより不確かになる。

このようなチームが、よく話し合っているが、コミュケーションはけしてうまくはいっていない。

問)どうすればいいか。

2020-03-24 追記

今日も午前中なんだかもめてるなあと思っていたら、コミュ障君年長者さんたちに何を言っているか全くわからないと言われていたらしい。お互い言い分があると思うしどちらも改善できる点があると思うのだが、それぞれ認知の歪や表現の癖や隠したいことがあってよい方向に向かう気配がない。リーダーや上長もこの状況を改善することに興味がないかそれが可能だとかすべきというイメージがないのだろうなんの目に見えるはたらきかけもない。

傍で見てると人間って難しいとため息が出るし何も助けてあげられない自分が情けなくなるしまどろっこしくていらだつし、もう本当にやりきれない。