愚痴を聞かされたら、傾聴して、自分語りをせよ

同僚の仕事に対する愚痴になんて応じたものか戸惑った話を妻にすると、そうね、まず愚痴はそうだねそうだねと聞き、その後自分はこう考えてこうしている、自分はこの仕事がこうなるといいと思っている、自分は同僚がこんなふうに働けるようになるといいと思っている、ということを話せばいいんじゃないかな、と助言を貰う。なるほど。僕は愚痴を聞かされると、それはこう捉えたほうがいいよ、こう考えたほうがいいよ、こう振る舞ったほうがいいよ、と改善策を話してしまいがちだ。愚痴を僕に言ってくるのは苦しい状態を脱したいと思っているからだろうから、そこから脱出する方法案を示したいという気持ちからなのだが、まあ、ほとんどの場合それは誰にとってもよいことではない。愚痴を言う相手は話を聞いてもらえない、否定された、ダメ出しされたと感じてしまうし、僕はせっかく話を聞いて助言もしたのに受け入れられないし感謝もされないし、結局問題を解決できない無力感も生じてしまう。妻が言うように、愚痴そのものは傾聴したうえで、自分語りをする(自分がどう考えていて、どうなりたくて、なにをしているかを話す)ほうが全然いい。これからはそうしよう。