日本人の心根にはメーカーの論理がある、のかもという話

サッカーFIFAクラブワールドカップの3位決定戦鹿島アントラーズ×リーベルプレートをTVで見る。僕はサッカーはまったくの素人で以下の感想は勝手な妄想なのだけれど、リーベルプレートの選手が相手を外す、かわす、逆を取る、相手がいやがるプレーをしているのに対して、鹿島の選手は相手どうこうよりもただ自分がいいと思うプレーをしようとしているように見えた。結果的にリーベルプレートの選手は出し抜くことに何度か成功して得点を重ね、鹿島の選手はゴールに近くなればなるほどなにもできなくなっていた。南米の選手にとってのサッカーと日本人にとってのサッカーは、上記の観点において別物なのかもしれないと思った。鹿島はジーコの教えによって日本国内では強豪チームのひとつだが、けして南米のサッカーに同化しているわけではないんだな、と感じたことだった。
サッカーに限らず、日本人は相手のあるスポーツでも相手に勝ることではなく、自分のベストを出すことに集中したがる。あるいはスポーツでなくとも。これはもう日本人のスタイルだと捉えるべきことなのかもしれない。一概に悪いとは言えないのかもしれない。しかし、それはビジネスの文脈でメーカーに対して戒めとして言われるところの作り手の論理なのではないか。