風邪っぽいんです
アウトプットへの批判と人格への批判を混同しないための行動指針
Twitterなんかでよく盛り上がる話題に、アウトプットへの批判と人格への批判を混同することへの批判がある。その批判を全面的に受け入れるとして、具体的にそのような認知行動を取るための思考パターンについて考えてみたい。
言葉はすべて言葉通りに受け取る
裏読みは一切しない。常識と思われることでもしない。例えば京都の人の家に長居してお茶漬けを勧められたら、食べたければいただきます、食べたくなければ結構ですと答える。
含意を読み取らない、読み取ろうとしないことを相手が怒り出したらどうしようかな。その人がアウトプットへの批判と人格批判を混同するなと普段言っているような人なら、相手の反応と人格批判を混同しないでくださいよ、と答えるとこだけど、そうでない人には、、、これはちょっと保留。
相手の反応を期待しない
感謝とかね。なにかを教えてあげてありがとうを期待するとか、悩みや愚痴を話して同意や慰めや助けを期待するとか、そういうのは一切しない。期待を持って話をするのはいいけれど、それに応えてもらえなくても、それはしかたがない、たまたま相手が忙しいとか答えを持ち合わせていないとかあるからな、と受け流す。
相手が言わなかったことに意味を見出さない
たとえば「ありがとう」と言って「どういたしまして」とか「こちらこそありがとう」とか返ってこなくても、一切気にしない。単に聞こえなかったのだろうと考える。伝わっていないならもう一度伝えるかどうかは難しいな。面倒だなと思ったらしなくてもいいし、せっかくだからもう一度伝えてもいい。どちらにしても、その意味は考えない。
ちょっとへんにドライな感じがしなくもないけど、しっとりしたものを排除する実験なのだからしょうがない。実践できるかどうかわからないけど、意識してみようかなという気持ちでいます。