(最近思っていること)

最近考えていることを世界に知ってもらわなくても別にいいのですが、頭から出さないと煮詰まってしまうので。

ドライブレコーダーは要らない

クルマを買い替えましたが、付けませんでした。必要なのかなあといろいろ調べたり考えたりしましたが、必要ないです。

他人や世界を信用ならないものとして生きる理由がないので。そんなことしなくても僕は自分らしく生きられるので必要ないです。それに煽られたことなんかないし(あっても忘れる)、ドライブレコーダーを付けても保険が安くなるわけじゃないし。

価値プラクティス原則を徹底したらどうか

ケント・ベックエクストリームプログラミングを価値とプラクティスと原則で記述してこれはとても重要。プラクティスやルールだけでは形骸化が避けられない。価値観だけでは実践が定まらない。価値とプラクティスを原則でつなぐというやりかたは極めて合理的だ。

問題は、組織や業務にアジャイル手法を取り入れようとしたときに、アジャイル的な価値やプラクティスや原則だけを考えることじゃないかと最近思っている。アジャイル手法については合理的に考えられるのだけど、対極にある組織や既存プロセスのレガシーな部分についてはその考え方はせず、相が違うものとして共存させてしまう、と、これはよくあるアンチパターンじゃないか。

それを防ぐためには、組織文化やルールや既存プロセスも、価値プラクティス原則の枠組みで記述してみるといいのでは、というアイデア。組織の価値の一部は社訓とかビジョンとかに書かれているだろう。そういう公式な言葉になっていないものも絶対にあると思うが、アウトオブザボックスでそれらも言葉にしよう。そしてルールや慣習もがんばって言葉にしてみよう。そしてそれらと価値観を結ぶ原則も、まずはアズイズで言葉にしてみる。簡単なことじゃないな。それなりの時間とやる気が必要だけど。でも、そうやって自分達の行動と原理を多角的に言語化して、それにアジリティを足して、どういう価値とプラクティスと原則になるのかを整理できれば、見える化も、数値化も、フィードバックと改善も、ぐっと容易になるのではないかな。

そういうことを、うまくアジャイル(や他の新しい考え方ややり方)を取り入れていっている組織はやっているんじゃないか(という想像、仮説)。でもあまり言語化されていないと思う。どうでしょうか。