差別と性差別
難しい話に踏み込んでしまった。
差別とは、特定の集団や属性に属する個人に対し特別な扱いをすること。特に冷遇、正当な理由なく除外や拒否などの不利益を生じさせる行為(Wikipedia)。
芸術表現が差別的とは、差別への視点で判断するものでいいんじゃないかな。
差別を肯定的に描いたら差別的。差別的なものは公共たるべきでない。
で、芸術表現が性差別的とは、上記の差別が性差別なもの。
性差別ってなんだ。
性別に基づく差別。ある特定の性分類に属するという理由で不利益を生じさせる行為(Wikipedia)。
不利益が難しいのか。不利益ってなんだ。除外や拒否。例えば選挙権を与えない。これは分かりやすい。望んでいない形で表現される。これは尊厳を損なうから不利益であり差別、という主張。これも分かる。
表現がある個体を扱っていて、その個体が持つある属性を持つ人が、表現のありようによっては自分の属性すなわち自分が棄損されていると感じることがありうるだろう。表現者はその集団や属性の象徴としてその表現をしたつもりはないし、自分の差別観ではこの表現には問題はないと判断していると主張することもあるだろう。訴える側は、表現者に意図がなくてもこちらにはそう感じられるのだからこれは暴力だと再反論する。ってことか。これが昨今起こっていることかな。
権力関係に照らしてどうという重要な視座もあるのだが、それも含めて絶対の正解はないな。これも対立し議論していくしかない。
そう考えていくと、差別性差別よりも、意見の対立に対するメンタルモデルや行動モデル、リテラシー、メタ的な合意形成といったことに関心が移っていく。