会話が多いからといってコミュニケーションがよいわけではない

知人の職場の話。オチもないただ残念なだけの話なので、そういうのがいやな人は読まないでください。

彼の職場の隣のグループ(同じ島の対面にいる)の人たちは会話が多い。事業所のなかでも最もよく会話しているグループようだ。しかし、会話量が多いからといってかならずしもコミュニケーションがよいわけではない。彼らの会話を聞いていると、何を言っているか分からない、どうしてそうなるの、いやそうじゃなくて、みたいなことを非常にしばしば言っている。

そのグループには論理立てて話すのが得意じゃない人がいる。

その人とのコミュニケーションに回りの人が苦心しているのは分かる。だがその人だけが問題というわけではなく、共依存のような状態になっているように見える。コミュケーション弱者のメンバーに接する時のまわりの人の態度は、会社や仕事や自分自身に対する不満やストレスのはけ口を見出しているかのようだ。コミュ下手メンバーとの会話がしばしば滞るときに、そのメンバーへの指摘や苦言を繰り返す。ずっと言っている。もはやメンバーへの教育的効果などなく、ただのはけ口でしかない。それでも建前上は助言だから、止められることもない。

コミュ弱メンバーはかなりストレスを貯めているようだ。たまに話を聞くと、普段はあまり反感を直視しないようにしているようだが、話しているとやはり不満の言葉が口をつく。そして悲しいことに、その言葉は非難の言葉だ。本当なら自分の方が正しくて彼らこそ非難されるべきだ、と。まあ、人間だもの、そういう思いになるだろう。そしてそういう客観的な気持ちは第三者だから持てるもので、当事者はそんな生ぬるいことを思わなくても不思議はない。

こんなのをなんとかすることは難しい。当事者たちにはこれをどうにかする動機はなく、技術もない。誰かがよほど強い動機を持って取り組まなくてはならないだろう。でもそういう人はそうそうはいないのだ。

2020-03-14 追記

そのグループのリーダー氏は経験こそ長いが、それほどリーダーとしての資質に恵まれているわけではない。いっぱいいっぱいな感じで、グループ全体を長期的な目で見てあまり人を育てるとか支援するというのは得意ではなさそう。後述する年長者について、なんらかの指導を行っているところは見たことがない。

メンバーのうち、二人いる年長者は、どちらも現業務内容にはあまり通じていない。そして新しいことに積極的にあるいは楽観的に取り組んでいく、というタイプではない。結果的に、あまり顧客や関連部署との前面には出ず、ご意見番であったり他メンバーのサポートという立場に落ち着いているようだ。業務知識があまりないので彼らの助言はしばしば的を射ていなかったり見落としがあったりするのだが、それを指摘できる/する人はいない。彼らなりにできることをやっているのだ。彼らが勤続年数相当の働きをしていないことに対する負い目は彼ら自身の内面のストレスとなり、それは形を変えて出現する。

年長者の一名は、主な担務としているレビューや後方支援を行っている間しばしば、なんだこれ、わけがわからん、いいかげんにしろよ、やってられねえ、といったネガティブ発言が出る。正直な気持ちなのだろう。ただ、レビュイーや被支援者のストレスは倍増する。

もう一名の年長者も同じようにレビューや支援を行っていて、その相手に対してずっと説教をしている。業務知識に踏み込まず、論理性とか常識とか、あるいは人間関係の政治的なことについて、妙に緻密な論理建てをして、それに基づく説教が永遠と続く。

そんな年長者と一緒に仕事をしているのが、先に述べたコミュ障メンバーだ。彼はメンバーの中では最もIT知識があり、若く根気もあるのだが、いかんせん論理性と説明力がない。感覚は鋭いが発想に偏りがあり、見落としやミスの多さも際立っている。そこに加えて説明力がない。自分が緻密でなく説明力もないことは自覚があり、他者との会話のなかで、他人が発した言葉を拾い借りることで説明を補完しようとする。それは健気な努力が身につけさせたものなのだが、必ずしも良い方向に機能しない。話相手にしてみれば自分の言葉が借用されていくのがいぶかしいし、そこにひっかかるともうもともと分からない説明がより不確かになる。

このようなチームが、よく話し合っているが、コミュケーションはけしてうまくはいっていない。

問)どうすればいいか。

2020-03-24 追記

今日も午前中なんだかもめてるなあと思っていたら、コミュ障君年長者さんたちに何を言っているか全くわからないと言われていたらしい。お互い言い分があると思うしどちらも改善できる点があると思うのだが、それぞれ認知の歪や表現の癖や隠したいことがあってよい方向に向かう気配がない。リーダーや上長もこの状況を改善することに興味がないかそれが可能だとかすべきというイメージがないのだろうなんの目に見えるはたらきかけもない。

傍で見てると人間って難しいとため息が出るし何も助けてあげられない自分が情けなくなるしまどろっこしくていらだつし、もう本当にやりきれない。