上司や先輩がチェックゲートになるという前提が崩れるということ

前回のエントリ(の特に追記部分)の続きになりますが、上司やレビュワーの判断がチェックゲートになるプロセスを採用しているけれど上司とかレビュワーとかが必ずしもエキスパートでないときにこじれた事例ということになりますかね。上司や先輩は経験がありチェックゲートになり得るという大前提が歴史ある組織には普通にあるとは思いますが、ドメインやテクノロジーの変化はそれを揺るがすところがあります。そういう齟齬を普通に感じ取って普通に受け入れ適応すればいいんですが、それが難しい人や組織はありますよね。イチかゼロかでもないのが、また話を難しくします。

あまりにも難しい話題になってしまったので、なにかヒントにならないかと思って 人間関係づくりトレーニング/星野 欣生 著/金子書房 刊 という本を注文してみました。

職場における人間関係やコミュニケーションについて考えていて、なにかヒントになるんじゃないかと思っていることはいくつかあります。

  • 非認知能力トレーニング(コグトレ等)

    認知の歪みとか表現力のなさがすれ違いや誤解を生んでいる気がするのでコグトレしたら効き目あるような気がします。ただ、多くのコグトレは子供とか教育下の人向けで、会社でコグトレなんてなんで俺が?って思われそうなのでそのあたりの工夫は必須のような気がします。

  • 認知の歪み

    別に意地悪して他人の気持ちを無視しているのではなくて、自分が抱えている不安やストレスによって余裕がなくて他人を慮ることができない、不安やストレスに対抗するために作り上げたメンタルモデルや認知モデルを維持するためには不都合なことには目をつむらざるを得ない、ということがあるように思います。これらをゆっくり時間をかけて解きほぐせばよくなる気はしますが…。これも当事者たちの動機がなければできない。素人が踏み込めるところを超えてる気もしますし。