コミュニケーション再考
Work From Homeになってやっと一ヶ月くらいですが、それが当たり前というか、もう人権の一部という気持ちになってきました。通勤とか、職場の(物理的な意味でなく)空気とかを受け入れなくてもよいということは、とても健康的なことです。WTOも健康とは単に病気でないということではない、とずっと昔から言っていますでしょう?
平田オリザという人も、この記事を書いている人のことも全然知らないんだけど、この記事を読んで感じ入りました。
コミュニケーションは大切だとよく言われますが、ネット記事なんかでよくあるのが、大切さはアグリーですよね当然ですよねってんで、テクニックの説明に入るやつね。いやいや、コミュニケーションは双方向ですから。大切さ分からせんかい!コンテキスト合わせんかい!お前みたいに言いたい事突然どばーっと話し出す奴めっちゃスベるぞまじで。
伝え方と受け取り方があり、その技術の上手い下手あるんだけど、さらに、今その対話に関心があるかどうか、真面目に、あるいは相手が望むような形式で対話する気があるかどうかってのがあって、これがめっちゃ重要なんだよね。それをいかに喚起するか?逸らさないように上手に会話、対話を作り上げていくか。技巧だっていう人もいるし、そういう面もあると思うけど、技巧的に向き合えない人もいて、そういう人は真剣さとか熱量で勝負しようとしたりして、それはそれで方法なんだけど、確実じゃないし本気だからこそ結果と向き合うのも大変だったり。
そういうことをいろいろ普段から感じているのですが、そのあたりに切り込んだ文章を見つけたなあ、と。ちゃんと何度か読んで自分の考えとか整理して綴っておきたいです。
2020年5月12日追記
そういえば、コグトレとか僕らにこそ必要なんじゃないかと思って、以下の本を買って読んだりしました。
教室の困っている発達障害をもつ子どもの理解と認知的アプローチ――非行少年の支援から学ぶ学校支援
- 作者:宮口 幸治
- 発売日: 2017/02/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
あるいは、職場の問題は関係のなかにあるってことで、これとか。
- 作者:星野 欣生
- 発売日: 2002/12/01
- メディア: 単行本
たしかにトレーニングの有用性だとか、効果のあるワークショップの例とか、とても参考になる良書なのですが、
この本に書かれたトレーニングを受ける人たちは、なぜかトレーニングに対する動機がすでにある前提でそれが問題にはされていない、という点で物足りなさを感じたのも正直な気持ちです。
子どもはどんなに教育困難に見えても、本当はまわりの子供たちと同じように学びたい、学びの場に入りたいという動機があるから、動機の涵養とかとくに気にしなくていいの?
人間関係に悩む人はそれを解決したい動機を強く持っているからとくに掘り起こしは必要ないの?
人間関係のトレーニングが自分に必要だったり有用だなんて思っていない人(他人には必要と思っているかもしれない)、集団の他の人との関係が良好になったら自分が行っている認知や行動のパターンと不整合が生じてしまうから、関係改善なんて行いたくない人との関係改善は、どうすればいいのん?と途方にくれたんですけどね。
(たぶん続きます。)
2020年5月12日追記
先の記事の末尾のまとめを自分の関心に従って整理してみたらこんな感じになった。
- コミュニケーションとは、複数人の間で行われる意見の伝達(単一方向)ないし交換(双方向)である。
- コミュニケーション能力(コミュ力)とは、伝達力と理解力からなる。
- 純粋なコミュ力というものもなくはないが、いろいろな要因によって発揮されたりされなかったりするのが普通
- 例えば関係性が悪くて、(意識してかせずか)友好的な対話を拒んでいる人がコミュニケーション力を全く発揮しない、ということがある
- よくある誤謬
- ある(人の)視点からみて、他者の伝達力や理解力を一方的に評価してしまう
- 関係性や動機を軽視してしまう
だいぶ自分の関心が明らかになった。ちなみに「これまで主流だったり有名だったコミュニケーション教育の功罪とか問題点」にはあまり興味はない。