コミュニケーションの取れなさについて引き続き考察中

この記事を読み、

女子小学生にまで求められる“モテ技”。男はなぜ「さしすせそ」で気持ちよくなってしまうのか(清田隆之) - QJWeb クイックジャパンウェブ

男性性についての問題提起と、この本を紹介されたので

男性は何をどう悩むのか - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社

買って読んでます。

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社会や職場がコミュニケーションベースでできているとして、 コミュニケーションは理解と表現からできているといいますが、 理解も表現も、コミュニケーションすべき相手や場、あるいは自分が置かれている状況(に対する認識)との関係性のなかで 人それぞれのストーリーに基づいて、どのくらい真剣に取り組むか、どのようなスタンスで取り組むか、 などが決まってきます。 男性に多いのは、自己承認があまりできず自己肯定感が低く、 承認を外部から得なければならず、そのために優越志向になりがちで、 関係に対する解釈もなるべく優越になれるように、あるいはマウントを取られないように、というバイアスをかけて行われる。

(なお、上記の本では男性の優越志向の例として職場等の人間関係においてマウントを取りたがる、自分が優秀であるアピールをする、強いものに媚びる、という例が紹介されている。それもあるけど、表面的にはそうならないものも同根である。例えば内面的なプライドを保つことで孤独な優越を築くという方向性。消極的なコミュニケーション、不服従、愚痴や批判が多い、というようなアピアランス。)

このような理解をしたときに、 類型や、それに対して有効なコミュニケーションアプローチを、網羅的に理解して使いこなせるように、

僕はなりたいのだろうか。 それで僕はどうなりたいのか。 正直、よくわからなくなってきている。

コミュニケーション再考

Work From Homeになってやっと一ヶ月くらいですが、それが当たり前というか、もう人権の一部という気持ちになってきました。通勤とか、職場の(物理的な意味でなく)空気とかを受け入れなくてもよいということは、とても健康的なことです。WTOも健康とは単に病気でないということではない、とずっと昔から言っていますでしょう?

note.com

平田オリザという人も、この記事を書いている人のことも全然知らないんだけど、この記事を読んで感じ入りました。

コミュニケーションは大切だとよく言われますが、ネット記事なんかでよくあるのが、大切さはアグリーですよね当然ですよねってんで、テクニックの説明に入るやつね。いやいや、コミュニケーションは双方向ですから。大切さ分からせんかい!コンテキスト合わせんかい!お前みたいに言いたい事突然どばーっと話し出す奴めっちゃスベるぞまじで。

伝え方と受け取り方があり、その技術の上手い下手あるんだけど、さらに、今その対話に関心があるかどうか、真面目に、あるいは相手が望むような形式で対話する気があるかどうかってのがあって、これがめっちゃ重要なんだよね。それをいかに喚起するか?逸らさないように上手に会話、対話を作り上げていくか。技巧だっていう人もいるし、そういう面もあると思うけど、技巧的に向き合えない人もいて、そういう人は真剣さとか熱量で勝負しようとしたりして、それはそれで方法なんだけど、確実じゃないし本気だからこそ結果と向き合うのも大変だったり。

そういうことをいろいろ普段から感じているのですが、そのあたりに切り込んだ文章を見つけたなあ、と。ちゃんと何度か読んで自分の考えとか整理して綴っておきたいです。

2020年5月12日追記

そういえば、コグトレとか僕らにこそ必要なんじゃないかと思って、以下の本を買って読んだりしました。

あるいは、職場の問題は関係のなかにあるってことで、これとか。

人間関係づくりトレーニング

人間関係づくりトレーニング

たしかにトレーニングの有用性だとか、効果のあるワークショップの例とか、とても参考になる良書なのですが、

この本に書かれたトレーニングを受ける人たちは、なぜかトレーニングに対する動機がすでにある前提でそれが問題にはされていない、という点で物足りなさを感じたのも正直な気持ちです。

子どもはどんなに教育困難に見えても、本当はまわりの子供たちと同じように学びたい、学びの場に入りたいという動機があるから、同期の涵養とかとくに気にしなくていいの?

人間関係に悩む人はそれを解決したい動機を強く持っているからとくに掘り起こしは必要ないの?

人間関係のトレーニングが自分に必要だったり有用だなんて思っていない人(他人には必要と思っているかもしれない)、集団の他の人との関係が良好になったら自分が行っている認知や行動のパターンと不整合が生じてしまうから、関係改善なんて行いたくない人との関係改善は、どうすればいいのん?と途方にくれたんですけどね。

(たぶん続きます。)

2020年5月12日追記

先の記事の末尾のまとめを自分の関心に従って整理してみたらこんな感じになった。

  • コミュニケーションとは、複数人の間で行われる意見の伝達(単一方向)ないし交換(双方向)である。
  • コミュニケーション能力(コミュ力)とは、伝達力と理解力からなる。
    • コミュ力が有効に発揮されるかどうかを左右する要因がたくさんある
      • コミュ力そのものの高さ
      • 環境
      • 参加者間の関係性
      • 参加者それぞれの動機
      • 制約、などなど
  • 純粋なコミュ力というものもなくはないが、いろいろな要因によって発揮されたりされなかったりするのが普通
    • 例えば関係性が悪くて、(意識してかせずか)友好的な対話を拒んでいる人がコミュニケーション力を全く発揮しない、ということがある
  • よくある誤謬
    • ある(人の)視点からみて、他者の伝達力や理解力を一方的に評価してしまう
    • 関係性や動機を軽視してしまう

だいぶ自分の関心が明らかになった。ちなみに「これまで主流だったり有名だったコミュニケーション教育の功罪とか問題点」にはあまり興味はない。

(徒然)

新型コロナウィルス対策でいろいろ大変な状況ですね。おつかれのでませんように。

政府の緊急事態マネジメントには失望しています。具体的なゴールも結果指標も行動指標もない。当初ゴールデンウィーク明けまでとしていて、それを5月末まで延長するにあたり、なにをどのように評価しての決定なのか説明があるかと思いきや、今後二週間ほどかけてここまでの成果を評価するとか言っていて意味不明。ただただ自粛してくれ以外の説明がなく、どういう気持ちでどう行動したらいいかわからない。こんなリーダーの下ではやっていけないなあ。

メタ情報源としてよく見るはてなブックマークの劣化がこの数年ひどく、よい記事じゃなくて、非難したい記事あげつらいたい記事をブックマークする使い方になってきてしまっていると感じています。

上から非難するのが大好きなのがはてなブックマークで、対象的だと思って見比べるのがガールズちゃんねる。(以下個人の感想です)こちらでは皆が守っていることを守れない人が非難される。この違いは顕著で、興味深い。どちらもそれぞれ特徴的な(つまり偏った)傾向であると思えばこそ客観的に見れるなあということを思ったりしています。

他者からの批判とそれに対する自分の心の反応について

note.com

言われてみれば、知識としては知っているけれどほぼ忘れてることだなと思いました。ふりかえり思い出し普段からそう思えるようになろうと思いました。

あとこれは反射的に思ったことなのですが、自分のためになるかどうかで判断しさえすれば客観的でいられるかというと、どうなんですかね。僕は、他者に評価されているということに向き合うこと自体が怖いですが。その心理反応の奥になにがあるのか自分でよくわかっていないですが、それは探って理解しておく必要があるものなんでしょうか?

ステイング ホーム

新型コロナウィルス対策で、2020年4月途中から在宅勤務になりました。

プログラムの作成や説明書の作成が主な業務です。開発環境やテスト環境は社内ネットワーク内にあり、仮想デスクトップを利用して乗り込んで作業をします。 出社して事務所の自席のPCを使うなら大きめのディスプレイが2画面使えるのが、自宅だとノートパソコンの画面のみだとか、キーボードも若干使いにくいですが、その程度で特に困ってはいません。

言ってみれば快適です。

片道1時間程度の通勤がなくなりました。時間的にとても余裕があります。歩かなくなったので運動不足になってるのは結構大きな問題ですが、それを除けばすばらしい。

あと、社内の雑音を聞かなくてもいいのがとてもよいです。周りの席の人が話している声をなぜかよく聞いてしまい、その都度勝手にいろいろ考えていていらいらしてることが多かったのですが、そういう声が聞こえないならいらいらにもなりようがない。

もともとあまり周りの人と雑談をしないので、問題ないですね。

いつになるかわかりませんが(今日2020年5月2日時点では、少なくとも2020年6月初までは今の状況が続きそうです)、また毎日出社しなければならなくなったら、結構大変なんじゃないかな。感染症禍がおさまっても、WFH中心の勤務形態が維持できるといいなあ。

適応課題、ナラティブ、ナッジ理論、行動経済学

jinjibu.jp

この記事をたまたま読んでこれはチェックせねばと思い、宇田川先生の本を買ってみたわけです。

まだちゃんと読み切れていないんですけど*1、10点満点でいったら5点かな。宇田川先生の体験とそこから立ち上がるストーリーは説得力があって感動すらしているのですけれども、僕が知りたいのはそれじゃないんです。

この手の記事や本にとてもよくある「すり替え」(だと僕は思っているのです…)があって、それは、読者が変えたい組織なりのスコープを、読者自身と置き換えてしまうことです。僕が訴えたい人達の共感が得たいんであって、僕がスカッとしたいんじゃないんですよ。なんなら僕自身はげんなりしてもいいんです。

もちろんこれが誤読だってことは分かっていて、宇田川先生はまず自分が変わることだ、と言っているんですよね。それはまあ、その通りなんですけど、なんていうかノーガード戦法ですよね。力石だったら死んでますよ先生。

そんなところでこの記事を読みました。

www.sakaiku.jp

この記事ではナッジ理論というメタなワードが載ってまして、その外周を調べてみると行動経済学というワード。行動経済学の本一冊持ってたなあと思って本棚見たらこれありました。

まあ読み物として楽しめる(かもしれない)本でしたね。あえて苦言を呈するとすると、バイアスのリストでしかないんです。だから読み物になるんですけど。これをどう使いこなすかは、まあ自分で編み出すしかないのかもしれませんけどね。経験積んで。

というところです今ここ。外出自粛ゴールデンウィークなので、いろいろ考えたり調べたりしてみたいです。

*1:まあどの本もちゃんと読み切れてはいないですけどね

二項対立

以下の記事を読んでの感想です。ちょっと黒山本になっているので、そういうのはキライと思っている人には読まないことをお勧めします。

世界中の開発者が「アジャイルの意味」を振り返って見えてきた3つの問題とは?【デブサミ2020】 (1/2):CodeZine(コードジン)

アジャイルの意味が歪んできた』『継続的な向上のために何をすればいいのか』『チームの健康状態に課題を抱えている』という3つの問題領域において、多くの声が寄せられました。

まず問題領域の設定があって、それに対して答える形式のサーベイだったんですかね。それとも、寄せられた意見を整理したら上記の問題が浮かび上がってきたんですかね。前者っぽく聞こえますけどね。だとしたら、その問題領域設定はどこから来たんですかねえ。

しかし実際には、多くの開発現場においてプロセス偏重の傾向が見られる。その背景には、「アジャイル vs. ウォーターフォール」という「プロセスの二項対立」の文脈でアジャイルをとらえる人が多い事情がある。しかし開発プロセスには本来「善と悪」は存在せず、適材適所で最適なものを選択して適用すればいい。決して「アジャイル以外のプロセスは悪」だととらえるべきではないとWong氏は指摘する。

アジャイル vs. ウォーターフォール」という「プロセスの二項対立」の文脈でアジャイルをとらえる人が多いとプロセス偏重になるって、どういう力学ですか?こういうことを説明なしに、当然そうですよね、とくくっちゃうところが、アジャイル推しに見られるよくないところですよ。

ウォーターフォールは悪でアジャイルは善っていうのは、アジャイル推しのインフルエンサーが使ってきたポジショントークじゃないですか。スクラムの資格を売ってる団体は、スクラムはフルセットで導入しないと成功しない、と言い切りますよね。ウォーターフォールのデメリットを列挙した後にね。

プロセスなんて方法にすぎなくて本当はみんなそれほど関心がない(関心があるのはビジネスであり、成果を出すことだ)と思います。仕事が回りさえすればいいんですよ。多少ギクシャクしたところや腑に落ちないところがあっても、仕事なんだし利害関係を含んだ仕事なんだし、そんなことは多少はあるのが当たり前だよね、って普通は思いますわ。

アジャイルは、参加者の感性と能力を尊重し、対話ベースで世界をよりよくしていくものだ(それはできる)、ということを、これまでのインフルエンサーは上手に伝えられなかった(そういう行動変容を引き出せなかった)ってことでしょう。

僕にはこの記事だって、「正しいアジャイルと正しくないアジャイル」という二項対立を感じます。正しい二項対立と正しくない二項対立があるわけじゃない。二項対立に着目するのもいいですが、それよりも尊重、全員参加、対話、改善といったことの価値の重要さをもっとうまく伝えることに尽きるのでは、と思います。ツールベンダーのポジショントークがそこに行き着けるものなのかどうかは僕にはわかりません、