クソなオブジェクト指向で設計した

オブジェクト指向はクソか

Erlangの作者(亡くなったそうで、ご冥福をお祈りします)、が書いたオブジェクト指向ディスり記事を読んだ。

まあ、どう思おうが勝手だけど、勝手に使いにくく捉えてんじゃない?という気がする。

例えば、データ構造を関数とセットにするのがおかしいと言っているけど、別にすべてのデータ構造が関数とセットにならにゃいかんわけじゃなし(記事で指摘しているように実際できないし)、一緒にあるのがふさわしいものは一緒にしようという提言に過ぎないと僕は思うけどね。

久しぶりにちょっと設計した

どういう構造にするか考えていて、各オブジェクトが何をどこまで知っているかを書いてみた。依存とはちょっとちがって、責務についての考察。こういうアプローチで考えたことなかったので新鮮だ。

(雑感、愚痴)

まいったね。

昨日会社の方針説明会がありまして、その後の懇親会で、普段会えない統括部長といろいろ話をしました。方針そのものは資料とプレゼンで(表層的には)理解できるんですが、その背景とかそういう物言いになるコンテキストが分からなくて、それらが分からないってのは実質ディスコミュニケーション絶望的と感じるところもあり、不満もぶつけたい気持ちもありでいろいろ会話をしました。統括部長(隣には社長もいました)がどんなこと考えながら振る舞っているか、ということをインタラクティブに聞くことができて、まあ100%納得はいかないまでも、なるほどそういうことね、と思える程度までにはわかった気がします。

なので今日のチームの朝会ではそのことを話しました。ちなみに前日の懇親会に参加していたのは、チームでは僕だけです。で、チームのみんなの反応は、1から10まで否定。全否定ですね。こんなこと言ってましたよ、と僕が言うと、総ツッコミ。まーそんなメンタリティになってしまうくらい、ストレスを溜め込んでいて、屈折した心理状態でいて、コミュニケーションに対する信頼とかまるでないってことです。それはわかってるんですけど、言うこと全部否定されると僕もいやになりますよ。僕は別に統括部長の手下に成り下がってチームのみんなを言いくるめようとしたわけじゃない(つもり)でしたけどね。。。

愚痴り芸っていうかそういうスタイルもあると思いますけど、付き合いきれないなというのが正直な今の気持ち。話し合う気がない人を(そういう人は説得してもだめ)なんらかの合意に導くのは極めてたいへんで、僕にはそれと絶対値が同じ以上の熱意はないですよ?

僕はどうしたいのか

僕は僕で承認欲求強いです。同時に自分のスタイルでやりたい気持ちも強くあります。これを両立させるには、周囲を巻き込まなきゃいけない。でも説明が下手で、取引も下手で、なかなかうまくいきません。失敗したこともあります。そのせいで臆病になっているところもあります。周囲を巻き込むことを、内的な動機だけでできない。他人に働きかけることは受け入れられる必要があってそれは自分の評価を他人に委ねることだとしか思えないところがどうしてもあって、やりきれないところがあるんです。ここを突き抜けていける強い人が評価される人なんでしょうね、って悲観的になっちゃう。

どうしたいかなんてわかんないですよ。言うだけじゃないんだから、いろいろある話なんだから。

...すみません、やっぱり僕も愚痴ってばっかりで。ほんとつまんないですね。ほんとすみません。

無責任のための責任感

最近どこかで読んだ話ですが、ある寓話で、暴走するトロッコが向かう先に5人の人がいてこのままでは5人の命が危ない。そのレールの途中に切替器があり、切り替えればトロッコは別の方向へ進み、そこには1人の人がいて、そうすればその1人の命が失われる。今あなたは切替器の前に立っている。どうする?という問。これに対して、自分は何もしない。なぜかというと、切替器に触らなければ、5人が死んでも自分が起こしたことではなく責任はない(と主張することができる)。しかし切替器に触れば、結果は自分の判断ということになる。少なくとも1人は死ぬ。責任が回避できるか、人を殺すかの天秤であれば、答えは自明だ。という答え。

とても人間らしい。現実の人間にとっての合理性というものについて考えさせられる。

知り合いの会社の話だけど、管理職がなんも意味ある判断をしない、という。何もしないか、たまになにかするときには、上に言われたからやるんだとかで意義や意味の分からないことだったりする。上に報告できるように説明してくれと言ってくるのだそうだ。そういうものなんだろうな。自分で判断して行動(部下に行動させる)をしたら責任を取らなければならない。上に指示されたことなら言われた通りやるのはやぶさかではない。責任は自分にはないからね。

とても人間らしい。人間臭くてむせ返るようだ。

(雑感)

毀誉褒貶

ネットの人たち(はてブから見えるくらいの世界。こういう感じでくくろうとする姿勢がすでにだめというのはわかる。)はすごく褒めるしすごくけなす。今日ふっと思ったんだけど、パフォーマーとかアーティストを上手に褒めることを競い合ってるよね。推しを尊ぶつぶやきについたLikeの数がステータスみたいな。だからか、自分たちが一生懸命しのぎを削って褒めてるヒト・コトを毀損するようなこと(パクリとか)をした人には本当に厳しい。わかり易すぎない?

どうにもなにかをくさしたいときがある

僕の心のやみ。。。

弊社巨大過ぎて玉ねぎのようだ

最近所属してる人の露出がいい感じで増えてきた。けど組織が巨大なので、外から見てる人には理解しにくいとこあるだろうな。中の人にもわかりません。ソフトウェアとシステム系だけでも、SIやってるSE、その下で働く人たち、パッケージ作ってる人たち、研究してる人、サービス運営してる人たち、技術開発とか支援をしてる人たち、いろいろある。ソフトウェア開発っても、受託でアプリ書く人、自社製品作ってる人、OSSの開発とかサポートしてる人、いろいろだし。他にも営業もいるしハードウェア作ってる人たちもいるしコンサル部隊とかもいる。ハードウェアで思い出したけど、今はファームウェアが巨大で階層構造になってて中で複数のOSが動いてたりして、ハードウェア部門のなかにファームウェア部門としてソフトウェア部隊がいたり。

ツィッターに書くのははばかられることは多く、自分のblogのほうがまだ好きに書ける

これが平成しぐさ。

(日記)

チームじゃない

エンジニア3人でグループを組んで仕事をしています。案件毎に一人が担当として付き、基本的には一人でやって、他の人はレビュワーとかヘルプとかします。という風に僕は考えていますが、同僚の一人はそうは考えていないのかもしれません。なにかあったら相談してくれ、困っていることはないか、声をかけるのはいつも僕で、いや別に特にないよといつもかわされます。たまに手伝えるときがありますが、いつも僕から働きかけるばかりです。考え方も合わなくて、それは違わない?それを解決するのが仕事でしょう?と思ってばかりです。当然言葉や態度にも出るので、反省はするし自制も少しはしてますができないことも多く、嫌われているか避けられている気がします。

でもまあ、気がするだけかもしれない。僕も一からは説明していなくて、途中から雑に話しているのは認めます。明日の朝会ではひとつひとつ話してみよう。

嘆くのはいつでもできるもんな。

ティール組織を読んでいます...

www.amazon.co.jp

借りて読み始めました。漠然と読んでいたらビュートゾルフやFAVIの事例に行きついて、これは面白いな!と思い始めました。そこで名古屋アジャイル勉強会の「ティール組織 ~マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現~ - connpass」がありまして、うーん、これはもうちょっとちゃんと理解したいぞ、と思って本も購入しました。

ティール組織の特徴が基本的な価値観にあって、対立ではなく理解と拡張(かな、ちょっと言葉が選べてないですが)にあるというのはハッとさせられました。なるほど進化型と呼ぶ気持ちが分かるような気がします。

あらためて読み直して理解を深めていきたいですが。。。

アジャイルウォーターフォール(のような計画主義的管理手法)と対立する概念、相容れないプロセス、価値観であるように考えてきてしまいましたが、それを包含する拡張された概念としてアジャイルを再考してみたい気がしています。

(雑感)

大人になりきれない

anond.hatelabo.jp

まったくもって僕もそういうところがあり、身近な人にこのような感情を持ちやすい。甘えがあるんだろうとも思うのだけど、それとはまた別に、相手の発言や仕草の裏読みが、相手が身近であればあるほど強くなり、ほんのちょっとしたニュアンスや素振りに過敏な反応をしてしまう。かなり身勝手な振る舞いなので、意識してコントロールできるようになりたい。

羽生結弦選手がよく喋るのでおどろいた

国際大会の当日直後にテレビ番組に出演して長いインタビューを受けているのを観た。たくさんいろいろ話してくれる人なんだな。噛み砕いて聞き手にわかるように話してくれていた。

僕だったら、集中して挑んだ大きな大会の直後にインタビューされたら高揚してべらべら喋りまくるだろう。そして翌朝にはテンションは戻り、というか反動で下がり、あああんなに調子に乗って話すんじゃなかったと後悔するだろう。外でお酒を飲むときとかだいたいそうなのでたぶん間違いない。