神の視点

全てがmain関数に書かれた(あるいはそれに類するような)ソースコードは、神の視点から見た風景なのだろうか。
全ての機能を実現する手続きを漏れなく記述すべく、全世界を背負って立つプログラマー。彼はいつも全てを見抜いていなければならない。フラットな手続きの羅列は、彼の誠実さなのか。
カプセル化だの抽象だのは、彼の視線を遮るものでしかないのかもしれない。

神の座から降りて協調と委譲の地平に立つことをお勧めしたいと僕は思っているのだけれど、その動機づけは難しい。さて。