出会いと喜びと

僕は楽器をちょっとやるのですが、僕よりもずっと早くからきっちりとした練習を積んでいる人達がたくさんいて、絶対的にもうかなわない(プロとかレコーディングアーティストにはなりようがない)ということを、比較的早い時期に自覚しました。それ自体はいかんともしがたい。でも、僕は楽器を弾いていて楽しいという絶対的な事実をうち捨てることもできない。プロになれないからやめるなんて気には更々ならない。

これはどういうことかと考えましたが、結局、僕が僕の感性で思いを表現するときに、それは一般的なコマーシャルな価値はほとんどないかもしれないけれど、それはそれが受け入れられるスコープはどこかという話であって、絶対的に価値がないなんてことはない、と考えるようになりました。事実、けしてプロというレベルでない、たとえば単なるカラオケの歌唱とか技術的にはかなりやばくても、オリジナルよりはるかに感動的だった歌をなんども聞いたことがあります(知合いが歌う大っ嫌いな曲に不覚にも感動したことはありませんか?)それは一人一人の人の存在が、そのひとがそこにあるということがとても重要、それぞれが持つ思い入れこそがとても尊いのだ、ということだと思うのです。

僕はいまソフトウェア開発というジャンルの仕事に従事していて、それはコミュニケーションウェアと呼んでもいいくらい、人と人との結び付きに立脚したことなのです。人が多数参加して交流するということなのです。もうそれだけで本当に尊いことなのです。そのまぶしさ(のほんの一部でも)をなんらかの方法で形にすることができれば、今考えられているリスクのいくつかはある程度払拭できてしまうのではないかと。まああまりに楽観した話ばかりするとどうかと思われちゃいそうであれなんですけど。