失敗の本質と文化インストールとトヨタのカタ

「失敗の本質」が今再び話題、とのウェブ記事を読んだのをきっかけに、ちょっと読み返してみています。正直難しい本ですね。


失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

太平洋戦争で日本軍は負けました。大敗です。
本書は米軍と日本軍との差異(で敗因となったもの)を挙げています。その敗因は現代的な組織論マネージメント理論からするとひどく偏っていて不合理で、なにより変化への適合、自己改善ができなかったこと。これが問題の本質ということでしょうか。

これに対して今の自分が思うことは、変化への適合、自己改善ができないとなにがいけないかというと、負けたから(また次も負けるかもしれないから)ってことだと思うけれども、負けるからだめって、真理かというとどうなんですかね、ってことです。
勝ち負けや生死よりも、自分のなかの一貫性の方がだいじだったりしませんか。
文化的な思考様式や行動様式を否定して変更することは、おおごとだと思うんです。人格を危うくするくらい。もし変わったとしても、きれいには変わらない。ものすごい血が流れ、後遺症というか歪が残ると思うんです。あるいは、表面的には変えるけど心の奥底では変わっていない、面従腹背みたいになるとか、

DevOpsエバンジェリストの牛尾さんが、日本のITがアメリカのような進歩性と実効性を得るためには文化をインストールするべき、と言っています。

新技術導入を米国並みに!働き方を変えて生産性を高めるための8つの習慣 - メソッド屋のブログ

たいへんよい考察であり、大いに参考になると思いつつ、文化のインストールなんて、単純化しすぎと思います。僕の考えでは、組織文化は誰にもコントロールできない。社長でもです。はたらきかけることはできるけど思い通りにはまずできない、という意味で言っています。

小さなプロジェクトならやってできないことはなく、その範囲なら多分大丈夫です。やってみたらいいと思います。それ以上の規模感の話なら、はたらきかけていきます、としか言えません。

トヨタのカタ」を読んで思ったことと繋がるのですが、組織には文化(価値観や思考行動様式)があり、その上に制度や活動があります。上モノだけを変えることは皆さんも経験あるように結構難しい。意図や背景を説明せずに指示命令してもまずだめ。よくよく意図や背景を説明しても、言葉だけでは意外なほど伝わらない。説明とともにそれらを植え付ける取り組みが必要であり、そのための有効と思われる方法がルーチン化(カタ)であると「トヨタのカタ」は言っています。そのくらい、組織を変えることは難しいし、時間がかかること、というのは自分の実感と合致します。

トヨタのカタ 驚異の業績を支える思考と行動のルーティン

トヨタのカタ 驚異の業績を支える思考と行動のルーティン

今日変えることはできません。今日から始めることはできます。それだけですかね。

最近はそんなことを考えています。それでは!