人間相手にするということについて考えさせられた話

たまたま(たぶん、はてなブックマークから)、「性犯罪者数百人と面会して見えた「性暴力問題の本質」(藤岡 淳子) | 現代ビジネス | 講談社」という記事を読んだ。強く印象に残った。勉強会の会場に名古屋市男女共同参画推進の施設を利用しており、その施設にジェンダー関連の図書室がある。勉強会の会場予約に訪れた際にその図書室に立ち寄り、その記事の著者の本を探したらあったので借りて読んでみた。

性暴力の理解と治療教育

性暴力の理解と治療教育

以下はまえがきからの引用。

ほぼ四半世紀前、筆者が少年鑑別所で非行少年のアセスメント(査定)を始めたばかりのころ、男性上司や先輩たちから教えられた性非行に関する理解は、以下のようであった。「男性は性的衝動を抑えられない。性非行少年は衝動の統制力が弱く、むらむらっときて(被害者に)飛びつく。彼は、これから男になるためにさまざまな性を試みているのだから、その試みを乗り越えられるよう援助してやる必要がある」。
(中略)
それからおよそ十年後、青年を収容する刑務所(おおむね二十〜二十六歳)に勤務し、性犯罪者たちのグループワークを担当せざるを得なくなり、どうも教えられてきたことと、「目前に見る性犯罪者たち」がぴったり重ならない。(中略)性犯罪とその治療に関する英語の文献を読むようになった。(中略)おおむね以下のようなことが書いてあった。「性犯罪は、性的欲求や衝動にのみよるものではない。それは支配や優越、強さの主張といったさまざまな欲求から行われる。性犯罪は、けっして衝動的に行われるものではなく、自己の欲求を充足させるため、合目的的に、いわば計画的に行われる。少年の性犯罪はけっして一過的な性の試みとして行われるものではなく、性犯罪行動の変化にターゲットを絞った特別な治療をしないかぎり、何度も繰り返される非常に習癖性の高い行動である。しかし、性犯罪者の査定と治療には特別な困難が伴い、したがって特別な訓練が必要とされる」(Pery&Orchard,1992)。

性暴力の理解と治療教育 - 株式会社 誠信書房

これまでに読んできたジェンダー関連のWeb記事から、まあそうなんだろうなと思っていたことが、きっちりと論説されていた。

人間はそういうものだと改めて思った。正しく生きたいと思うこともあるが、どちらかというと、自己正当化のために正しさが欲しいのだろう。

そういうものどうしで社会や集団を形成して生きているので、うまく生きたいと思うのなら戦略や戦術があったほうがいいだろう。そういうことを漠然と感じていたところで、この本はとても勉強になった。