アジャイルにやりたいならアメリカ的思考を学べ、あるいは、なにかを学びたいなら文化を変える必要がある、か?
日本でアジャイル / DevOps 導入が進まないのは「文化」を変えないから - メソッド屋のブログ
牛尾さんまたもググっと胸に迫るエントリ。方法論の普及とか変化とかには、背景があり、文化がある。文化とのマッチングを考えると、この先どうなるか、ある方向へもって行きたいならどうするのが得策かが分かる(かも)ということ。これは僕も理解したいところ。
- 英語ならオブジェクト指向は難しくない。アジャイルも同様なのではないか。
- アジャイルはオブジェクト指向を前提にしている。それが証拠に、オブジェクト指向を理解するとテスト駆動開発が受け入れられるようになる。
と牛尾さんは綴っている。
牛尾さんのブログの他のエントリもみてみた。
生産性を向上させるためには、日本人エンジニアに英語での会話力は必須だと思った - メソッド屋のブログ
- 英語文化圏の人たちは、discussionが好き。
- discussionは勝負ではなく楽しいもの
- 合意はできないがそういう考えだってことは分かったよ(agree to disagree)、とか言う
- (エントリはこの後、どんどん話そう、という方向へ向かう)
agree to disagreeについて調べてみよう。
Let's agree to disagree 「ぼくたちは解りあえやしないってことだけを解りあうのさ」 - Yosuke J. Ishii as a Scribbler
- アメリカなど英語圏の子供は自分の意見を的確にまとめて発表する訓練をよくしている。
- なぜか?critical thinkingができる人材を育てたいという意図があるから。
- critical thinkingは「(他者に対して)批判的な思考」ではない。
- 与えられた問題に関して、結論を出す前に、よい面悪い面を含めすべての要素を徹底的に考え抜く。
- 他人に自分の意見が分かってもらえないことはある。他人は自分とは違う考え方をするから。他人はどう考えているか他人になったつもりでとことん考えてみる。こうやってレビューし補強することで、自分の意見の説得力が増す。
- そして説得力があるとは正しいということ。
- (そして、よくcritical thinkingされた意見は、賛同はされなくても理解はされるでしょう、と。ここでagree to disagreeがでてきた。)
説得力を持ちたい。そのためには論理的によく練った発言をしたい。ということか。
1930年代のアメリカの教育学において主張されはじめ、1960年代の教育の現代化にともない注目された。
アメリカ教育学史にヒントがあるのかもしれない。
軽く検索してみたが、欲しいWeb記事が見つからない。
こんな記事を見つけた。
アメリカ的価値観 | Life Under Construction
この国で私が通った小学校では、公平さ、正義感、責任感、創造力、活発さ、独立して作業・思考すること、などが求められていました。日本の小学校で念を押されたのは、年長者を敬うこと、相手の立場になって考えること、言われなくても分かるようになること、協調性、などだったような気がします。先生達がかーっとなった時、日本ではけじめ、けじめ、と言われ、アメリカでは責任、責任、と言われた記憶があります。
けじめと責任、この二つ、似ているようで全く違うと思いますが、皆様どう思われるでしょう。けじめをつけられる子どもとは、周りの人々に配慮して状況を把握した上でふさわしい行動をとることのできる子ども、じゃないかと思うのですが、どうでしょう。アメリカ人の思う責任感のある子どもは、周囲云々以前に、倫理的・道徳的に何が正しいか自分の頭と心とで正しい判断をしてそれにふさわしい行動をとることのできる子どものような気がします。
Scrumの、透明性、検査、適応に基づく経験的プロセス制御、という考え方も、アメリカ的価値観の匂いがする気がする。
そして、Scrum入門とかを読んでも、同調圧力とScrumという章はない。
「アジャイル 文化」で検索したらこんなブログエントリが。
アジャイルという教典を文化が壊す - シンデレラは削らない
SCRUM研修をアメリカ人講師で欧州人と日本人が受ける話。大変興味深い。
結局ダメなプロジェクトはどんなプロセスを使っても駄目だし、文化に合わないプロセスはどんなに安全なプロジェクトでもダメにする。そしてその国や文化圏に応じて気をつけるべきことは違っている。
同感です。
ところで冒頭の牛尾さんの文化エントリに話を戻すのだけど、
- ビジネスで勝ち抜くために必要あるいは有効なやり方考え方は、そのやり方考え方が生まれたあるいは発展した場所の文化の影響を受けているし、それを暗黙の前提にしている。
- わかる。
- ビジネスで勝ち抜くために必要あるいは有効なやり方考え方を取り入れたい。その際には、そのやり方考え方が暗黙に依存している文化を意識するとよい。その文化と自分たちの文化が異なる場合は、自分たちの文化が障害となることがある。
- これもわかる。
- 文化から変わらないとだめ。
- いやいやいや。そんなこと牛尾さんは言ってないか?言っているようにも読めるな。
文化っちゅうのは民族が民族たるゆえんだからそんな簡単には捨てられんと思います。会社が外資に買収されても変わるかどうかってくらいのものでしょう?
でもまあ、時代やビジネス的な要請があって文化も変わっていくべきということは同感だし、ただ、簡単じゃないよね、変えるぞ!って意気があればできるってほど簡単じゃない。
で、思うんですけど、認知行動療法とかあるじゃないですか。あれは個人で行うものですけど、それを集団でやるってアプローチで、少しずつ文化を上書きしていくんでしょうかね。価値や原則やパターンを形式知にして、ふりかえりをくりかえしていくってことになるかと思いました。わりと元通りの結論ですが、とりあえず僕からは以上です。