夢は枯野を駆け巡る(仕事中に)

理由を教えてください

お仕事のコンテキストで、なにかを依頼あるいは指示にその理由とか背景が添えられていない場合、その依頼・指示は無視してもいいんじゃないか、と思ったんです。期日が指定されていない依頼は無視するという人がたまにいて、それはそれで合理的と思われる部分も少なからずあります。それと同じで、理由背景を説明しないものはクオリティを求めていない、つまり本当に大事なことじゃない、じゃあ無視してもいいだろ、っていう論理ですね。

と、思ったのですが、理由背景期日がない依頼がなされた場合、それは会話するきっかけになります。会話すれば目的が明確になりよい仕事ができる可能性が高まるので、理由背景期日が不明確なのも悪くないのかも。

と思いなおしましたが、もっというと、理由背景期日が明示されていてもいなくても、会話はしたほうがいい、ってことになりますね。コミュニケーションを取らない方向基軸で考えるのはよくないね。はんせい!という話でした。

「人は激務を経なければ大きな成長をしない」

んですかね。はてなブックマークでタイトルだけ見ましたけど。そんなのはもちろん人それぞれのケースバイケースなんですけど、そういうことを公言する人がいた場合、それが真実かどうかよりも、「激務から大きな成長をする人がいる」「っていうか俺がそうだけどな」「激務よりも効果的な成長方法はあまりない」「育てるとか面倒くさいからな」「こういう世界観が分かる奴だけが仲間」「そういう仲間が集まっている世界に帰属したい」「価値観が共有できない人とは集団を形成する気ない」「見下しちゃう」「集団を形成したらしたで、本質的にマウント指向なので、実はそのなかでもヒエラルキーつくっちゃうぞ」「俺は激務を生き延びた歴戦の勇者だからな」「まだ若い奴には負けん」とかって思っている率の方が高い(より事実)のような気がする。その思想、論理性とか社会的正しさ的にはなんか視界不良ですけど、直接迷惑を被らない限りにおいて、そういう考え方する人がいるという事実は理解できるし、まあかわいいのね、みたいな気がします。