日本人の心根にはメーカーの論理がある、のかもという話

サッカーFIFAクラブワールドカップの3位決定戦鹿島アントラーズ×リーベルプレートをTVで見る。僕はサッカーはまったくの素人で以下の感想は勝手な妄想なのだけれど、リーベルプレートの選手が相手を外す、かわす、逆を取る、相手がいやがるプレーをしているのに対して、鹿島の選手は相手どうこうよりもただ自分がいいと思うプレーをしようとしているように見えた。結果的にリーベルプレートの選手は出し抜くことに何度か成功して得点を重ね、鹿島の選手はゴールに近くなればなるほどなにもできなくなっていた。南米の選手にとってのサッカーと日本人にとってのサッカーは、上記の観点において別物なのかもしれないと思った。鹿島はジーコの教えによって日本国内では強豪チームのひとつだが、けして南米のサッカーに同化しているわけではないんだな、と感じたことだった。
サッカーに限らず、日本人は相手のあるスポーツでも相手に勝ることではなく、自分のベストを出すことに集中したがる。あるいはスポーツでなくとも。これはもう日本人のスタイルだと捉えるべきことなのかもしれない。一概に悪いとは言えないのかもしれない。しかし、それはビジネスの文脈でメーカーに対して戒めとして言われるところの作り手の論理なのではないか。

愚痴を聞かされたら、傾聴して、自分語りをせよ

同僚の仕事に対する愚痴になんて応じたものか戸惑った話を妻にすると、そうね、まず愚痴はそうだねそうだねと聞き、その後自分はこう考えてこうしている、自分はこの仕事がこうなるといいと思っている、自分は同僚がこんなふうに働けるようになるといいと思っている、ということを話せばいいんじゃないかな、と助言を貰う。なるほど。僕は愚痴を聞かされると、それはこう捉えたほうがいいよ、こう考えたほうがいいよ、こう振る舞ったほうがいいよ、と改善策を話してしまいがちだ。愚痴を僕に言ってくるのは苦しい状態を脱したいと思っているからだろうから、そこから脱出する方法案を示したいという気持ちからなのだが、まあ、ほとんどの場合それは誰にとってもよいことではない。愚痴を言う相手は話を聞いてもらえない、否定された、ダメ出しされたと感じてしまうし、僕はせっかく話を聞いて助言もしたのに受け入れられないし感謝もされないし、結局問題を解決できない無力感も生じてしまう。妻が言うように、愚痴そのものは傾聴したうえで、自分語りをする(自分がどう考えていて、どうなりたくて、なにをしているかを話す)ほうが全然いい。これからはそうしよう。

勝ち負けとそうでない価値観

勝ちたい征服したい支配したい論破したい上位に立ちたい、というある価値観があり、それに反発する勢力があったとして、その勢力には別の価値観で勝ろうとする一派もあるだろうし、争いに意味がないとする一派もあるだろう。他にもいろいろあるんじゃないの。一人一派ってそういうことじゃないのかな。

怒られ

なぜ怒られているのか分からない気持ちは分かる。僕はその分からないパラダイムを分かりたい。いつかモナドを理解できたらいいなと思っているのと同じような感じだ。

すべての絵について、それが萌え絵か萌え絵でないか、決めることができるとして、それはメタな定義になるでしょう。で、そういうメタな議論を楽しみたい人はそうしてもらって全然いいんだけど、それはもう違う話題でしょう。

だから、結局そういう話をしてないんだって。という彼女論法になってしまう。分かるように定義してから説明しろ?めんどくさいな、なんでわかんないのかな、となるね。

弱い僕

弱い僕は君の 心なんちゃら 君には悪いとは思うが さようなら

途中が思い出せない。なんだっけ。

こんなことは今までなかった 僕があなたから離れていく

僕が知る限り最低の男を見事に歌った歌。

She is a brick

もいっこあった。これも本当にひどい。最低にもほどがありすごい。

God only knows what I'd be without you

義母が亡くなってからの義父の寂しさを誰も歌わないしtweetしないしいいねしませんけどどんな歌よりも心をぎゅっとします。僕の人生というコンテキストあってのことなのでわからない人にはわからないでしょう。僕だって義父のことが分かっているとは言いかねる。

いらつくを生じさせるものと僕(ら)は共依存になってる。今すぐここから出ていくべき。

Say goodbye to Hollywood, say goodbye my baby

麻田さんにたしなめられながら生きる日々

連続テレビ小説の「べっぴんさん」を今再放送していて録画してみています。なにかと性に合うところがあっていちいちいいのです。今日なんて麻田さんが明美さんに「言うてますやろ。そんな曲がった考え方をしてはいけません。」というのは、とてもやさしいけれど筋が通っていて、でも甘えたい気持ちをちょっとあるいはわざと分かってあげてない。正しさなんて文脈依存だし視点次第なのでほとんどの場合意味なくて、自己承認力の弱い僕は迷いながら生きてほんとになさけないんです。でもまあ怒られているうちがはなといいますし。