(雑感、2021年1月11日)

見よう見まね

C言語で自作されたロギング処理が遅いようなので、改善することにしたのですが、これに結構苦労しました。

プログラミングイデオムをその意図や前提条件、効果をあまり理解せず、なんとなく見よう見まねで用いている(そして間違っている)箇所が非常に多かったのです。

(僕がいる世界の多くの)プログラマーは、見よう見まねでプログラミングを身に着け、本人の意識と恵まれた環境と幸運があれば、いろいろ学んで理解を深めよいプログラミングができるようになります。逆に意識や環境や幸運がなければなんとなくそれっぽいが間違っているプログラミングしかできないでしょう。

そしてさらに、それほどでもないプログラマーが書いたプログラムを、動いているからいいだろうとプロダクションに入れてしまう、そして動いているのだから流用できるだろう、と使いまわしてしまう。これもコードの管理がなんとなくそれっぽく(見よう見まねで)行われているのだと言えるかと思います。

そんな、あれもこれも「見よう見まね、それっぽい、雑な」世界なのです。

プログラムをちょっとだけ変えるために、とても手間を取られ若干疲れたので愚痴っぽくいいましたが、誰のことも責める気はありません。よいプログラマーとそうでないプログラマーは二値ではなく、グラデーションですし。よい組織とそうでない組織も。

でも、なんだかなあ、っていう。

バベルの塔

2020-2021の新型コロナ禍が社会に突きつけたものはとても大きいです。日本の自粛要請と空気/圧力モデルは2020年前半には機能しましたが、2020年末〜2021年初頭にはすでに限界を迎えています。

国全体の問題には関係者があまりに多く(全国民ですからね)、議論ができない人、要請に従わない人もいます。平時ならしょうがないとか今後の課題だねで済むことも、こんな緊急事態ではそれで済ますわけにはいかない、けれどもどうしようもない、という感じです。

どのような主張もあくまで一部の人にしか届かず、一部の人だけで進めればいいわけではない問題を解決できず、いらだちが分断を再生産している。そんな状況という認識です。

感染拡大も残念なことですが、全員を巻き込んだ議論やコミュニケーションや合意の取れなさがなんとも残念です。僕らは無力だ。

(追記 2021/1/12 11:30頃)

NHKニュースによると、緊急事態宣言で政府が講じる措置とは国民(や事業者等)への要請。緊急事態宣言を受けて都道府県が行う措置もやはり「要請」です。

要請。従わないことも可能そう。というか、憲法や法律で定められた義務やルールであっても、従わなければ罰を受けたり拘束されたりするかもしれないけど、従わないことは可能。要請には従わないときはあるし、従わない人はいます。

100年に一度レベルの強烈な感染症の対策なんだから、従わない人もいるよね、では済まされないよ!ってのはそうなんでしょうけれども、だから全員が等しくそう思い要請に従うかというとそれは別の話です。

ただ自粛をお願いし続ける、お願いをより強くするだけなので、要請の効率は右下がりで、リーダーのいらだちと、国民の疲労と、なにより問題といえる分断は深まっています。