(雑感。2020年12月8日頃)

馬を水場まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない、といいますが、これは真理だな、と最近思っています。

動機がない人にはなにも響かないし、別のことを考えてる人は聞いてないし、別のことを信じてる人は疑うし、嫌ってる人には嫌われる。逆もありますけど。

説得力とはコンテキスト依存で、数字とか定石とかも使いどころで使ってはじめて活きる。

とか、そういうことも、まあどっちでもいいですね。

近況(2020年11月26日頃)

仕事は相変わらずです。

担当しているプログラムについて、結合確認で出るトラブル対応を続けていたのですが、先々週末に通知された不具合の修正の適用許可が顧客から来ないという事態になっています。他にもやることあるのでやっていますが、もう出禁なのかな……?

最近よく聴いている音楽について書いておきますね。Spotifyの無料プランとAmazon Prime Musicと、手持ちの音源で聴いています。

  • ゆりめり
    • すべて自作曲だそうですけどとてもよい曲ばかりで、歌もいいし、聴かせますよね。大好きです。
  • SUKISHA
  • I'm
    • 本人がいうとおり、検索性最悪の名前ですが、それでも探し出して聴く価値あります。もっと曲出してー。
  • 仮谷せいら
    • ほんとこの人売れてないのが不思議。とてもいいのに。新曲待ってます。
  • 大橋トリオ
    • 鉄板。もう本当にいい。僕大橋トリオの曲みたいな人間になりたい。

今日妻と、歳を取ったときに趣味のサークルみたいのに行くとしたらなにに行く?って話をしていました。妻はヨガとかかなーと言ってました。僕は妻が趣味の集まりに行くのについていって、部屋の後ろで本を読むとか絵を描くとかしていたいな、って思いました。

来年度マンションの管理組合の理事になる順番らしいです。前に一度理事長やってるからこんどはなにか穏当なのにしてもらえるかな。町内会担当になるよりかは理事長の方がまだいいな。理事長になったら、理事会の際には全員名札をつけるルールを提案します。前回は他の理事さんたちの名前が覚えられずやりにくかったので。

(近況、2020年10月25日頃)

8末で終わるはずだった仕事がまだ終わらず、厳しいたたかいが続いています。

仕事は完全に在宅で、ネット上で少人数の関係者と仕事をしています。

集団や組織でなにかをなすためのよりよいやり方、あり方、といったことが、自分にとってあまりリアルでなくなっていて、行っていないことについて考えを持つ動機を感じなくなっています。アジャイルがどうとか、組織のありようとか、マインドセットとかコミュニケーションとか心理的安全性とか、別に特にないです、、、みたいな感じ。

これはこれで、消極的(すぎ)、とは思うのですが、積極的なる動機もないし、無理してもストレスが多いし、、、みたいな。

保健師さんとか心療内科の先生とかから、人との接点は持って方がいいねー。趣味のグループとかいいんじゃない、とか言われているんですが、趣味のグループのリアル集まりに参加するなんて、それこそ高い壁に思えますね。しないですね。ぜったいしないです。

(近況)

仕事が今山場で、なかなか厳しい状況が続いています。それ以外のことに使えるエネルギーが出てこない。いろいろ放り出していることがあります。すみません。

社会との接触が極めて少なくなっているので、気持ちが楽な部分と、失われてしまう部分があります。しばらくは流れのままでいいかなと思いつつ、意識すること、言葉にすることも大事にしたい、自分のものとして生きることも大事にしなくては、と思っています。

もう少し具体的に書き残しておきましょう。日記なので。

名古屋グランパスは今年はとてもいい。選手たちが自信を持ってプレーしていると感じます。これまでにやってきたことが繋がり機能することを実感し、それを積み上げまた積み直すことを自分達のこととして十全にやれているように思います。よかった。これが見たかったグランパス。8月以降あまり勝てなくなってきていますが、今のグランパスならそこからまた学び伸びてくれると思えます。オーレグランパス

Twitterはいろんな顔を持っています。繋がりを与えてくれたり、良い言葉を伝えてくれる、こともある。良い面もたくさんあります。けど本質的に、反射的に思ったこと、心の声がダダ漏れになるシステムであり、人間の弱いところが垂れ流しになるシステムです。他者を傷つけたり分断を煽ることも多い。人類には早すぎたのかもしれない。

例えば、愛知県知事のリコール活動が今行われていて、その活動の発起人のひとりのTwitterを見ましたが、もう本当にひどいと思いました。オーナーの放言と、賛同にかこつけた罵詈、反論の体の雑言。他罰、便乗、分断、非難、暴言、罵倒、エスカレート、露悪、ヘイト、醜悪をここまで極めたものは他にあまり見たことがありません。人間がなし得る最低のモノのひとつがここにある、と思いました。*1

誰もが心の声をもっています。頭に浮かぶ言葉、ふっと口にでる言葉があります。心の声にはいいも悪いも正しいも間違いもない。ただのつぶやきです。そこに繋がりや何らかの発展を可能とするという試みは斬新ではありましたが、それによって分断や憎しみや悲しみも大量に生み出しています。ただのつぶやきはただのつぶやきとしてひっそりとタイムラインを流れて消えていけばいい。リツイートしたりリプライしたりおすすめしたりまとめたりブクマしてコメント付けたりネットの声として記事にしたりするのは、やりすぎだと僕は思います。僕はもう、そういうものは他人事、別世界のものとして極力接しないし、けして心を預けないことにします。

*1:それを眺めて平気でいることはなかなか難しいのですが、例えば現代美術作品だと思えば少しは耐えられるかも、と思いました。それで余談になりますが、これが公金を使った美術展の企画だったらどうでしょうかね…なんて思ったりもしました。

(無題)

前回の投稿からずいぶん間が空いてしまいました。

新しい生活様式

コロナ禍で生活が大きく変わりました。大きいのは仕事で、同じ会社に努めて同じ仕事をしているのですけど、基本的に今後ずっと在宅勤務ということになりました。なんと通勤定期がないのです!

通勤しない、オフィスに行かないということが、心持ちを大きく変えました。

まず、歩かなくなったので運動不足がひどくなり、しっかりと太りました。通勤しているときと同じだけ(ただ健康のために)歩くというのは現時点ではとても難しいです。これは本当に困った問題。

あと、会社の人達の顔を見ない、かれらの会話や発言を聞くことがないということが、ものすごいストレス解消になりました。チームを組んで協働作業をすることはあまりない関係であっても、同じ部署にいる人達のことを僕はなぜかとても気にかけており、彼らと協働するときの心の準備をいつもずっとしていたのでした。彼らの発言から彼らの心情や思考をおもんばかり、かれらとよい関係を築き、よい成果を上げられるようにするにはどうしたらいいのか、ということをことあるごとに考えていたのでした。でもそれもすっかり考えなくなりました。僕は僕の仕事を、ワークライフバランスのなかで考えている、ただそれだけです。

時折ちょっと不安になりますけれども、というのは不要不急のヒューマンタッチが極めて少ないことに対してですけれど、これもひとつの経験としてなにを得ることができるのか考えていけばいいのでしょう。

職住接近というか同じ場所で行うのは新鮮です。僕は自宅大好きな方なので自宅勤務は全然つらくありません。少なくともいまのところ。

勉強会は2月以来開催していません。物理的に同じ部屋に集って行う勉強会は当分無理でしょう。オンラインなら可能なので、オンラインで(形を変えつつ)再開する方法を模索していますが、直接会話する・できるわけではないと思うことで、若干トーンダウンしてしまっていることも否めません。まあ、これもぼちぼちやっていきます。

社会との関わり感がより薄くなり、マスメディアやネットにより頼るようになると同時に、マスメディアやネットそれぞれが持つ語り口に違和感や不快感を覚えることも多くなりました。

僕は80年台に青春時代を送っているので、テレビのようなマスメディアのありように適合し(すぎ)ています。「なにか面白いテレビやってないかな」「ぜんぜん面白いテレビやってないな」みたいなことすぐ言うメンタリティですね。それを根っこに持ったままネット時代を生きるのはけっこうやばい。「みんな」とか「普通」とか「最近」という概念を多用したりして、評論家気取りの上から目線のクソツイートしがちだったりとかですね。

そんなものはない、あるのは無数の個だけだ、という認知の上書きを日々してます。

コミュニケーションの取れなさについて引き続き考察中

この記事を読み、

女子小学生にまで求められる“モテ技”。男はなぜ「さしすせそ」で気持ちよくなってしまうのか(清田隆之) - QJWeb クイックジャパンウェブ

男性性についての問題提起と、この本を紹介されたので

男性は何をどう悩むのか - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社

買って読んでます。

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社会や職場がコミュニケーションベースでできているとして、 コミュニケーションは理解と表現からできているといいますが、 理解も表現も、コミュニケーションすべき相手や場、あるいは自分が置かれている状況(に対する認識)との関係性のなかで 人それぞれのストーリーに基づいて、どのくらい真剣に取り組むか、どのようなスタンスで取り組むか、 などが決まってきます。 男性に多いのは、自己承認があまりできず自己肯定感が低く、 承認を外部から得なければならず、そのために優越志向になりがちで、 関係に対する解釈もなるべく優越になれるように、あるいはマウントを取られないように、というバイアスをかけて行われる。

(なお、上記の本では男性の優越志向の例として職場等の人間関係においてマウントを取りたがる、自分が優秀であるアピールをする、強いものに媚びる、という例が紹介されている。それもあるけど、表面的にはそうならないものも同根である。例えば内面的なプライドを保つことで孤独な優越を築くという方向性。消極的なコミュニケーション、不服従、愚痴や批判が多い、というようなアピアランス。)

このような理解をしたときに、 類型や、それに対して有効なコミュニケーションアプローチを、網羅的に理解して使いこなせるように、

僕はなりたいのだろうか。 それで僕はどうなりたいのか。 正直、よくわからなくなってきている。

コミュニケーション再考

Work From Homeになってやっと一ヶ月くらいですが、それが当たり前というか、もう人権の一部という気持ちになってきました。通勤とか、職場の(物理的な意味でなく)空気とかを受け入れなくてもよいということは、とても健康的なことです。WTOも健康とは単に病気でないということではない、とずっと昔から言っていますでしょう?

note.com

平田オリザという人も、この記事を書いている人のことも全然知らないんだけど、この記事を読んで感じ入りました。

コミュニケーションは大切だとよく言われますが、ネット記事なんかでよくあるのが、大切さはアグリーですよね当然ですよねってんで、テクニックの説明に入るやつね。いやいや、コミュニケーションは双方向ですから。大切さ分からせんかい!コンテキスト合わせんかい!お前みたいに言いたい事突然どばーっと話し出す奴めっちゃスベるぞまじで。

伝え方と受け取り方があり、その技術の上手い下手あるんだけど、さらに、今その対話に関心があるかどうか、真面目に、あるいは相手が望むような形式で対話する気があるかどうかってのがあって、これがめっちゃ重要なんだよね。それをいかに喚起するか?逸らさないように上手に会話、対話を作り上げていくか。技巧だっていう人もいるし、そういう面もあると思うけど、技巧的に向き合えない人もいて、そういう人は真剣さとか熱量で勝負しようとしたりして、それはそれで方法なんだけど、確実じゃないし本気だからこそ結果と向き合うのも大変だったり。

そういうことをいろいろ普段から感じているのですが、そのあたりに切り込んだ文章を見つけたなあ、と。ちゃんと何度か読んで自分の考えとか整理して綴っておきたいです。

2020年5月12日追記

そういえば、コグトレとか僕らにこそ必要なんじゃないかと思って、以下の本を買って読んだりしました。

あるいは、職場の問題は関係のなかにあるってことで、これとか。

人間関係づくりトレーニング

人間関係づくりトレーニング

たしかにトレーニングの有用性だとか、効果のあるワークショップの例とか、とても参考になる良書なのですが、

この本に書かれたトレーニングを受ける人たちは、なぜかトレーニングに対する動機がすでにある前提でそれが問題にはされていない、という点で物足りなさを感じたのも正直な気持ちです。

子どもはどんなに教育困難に見えても、本当はまわりの子供たちと同じように学びたい、学びの場に入りたいという動機があるから、動機の涵養とかとくに気にしなくていいの?

人間関係に悩む人はそれを解決したい動機を強く持っているからとくに掘り起こしは必要ないの?

人間関係のトレーニングが自分に必要だったり有用だなんて思っていない人(他人には必要と思っているかもしれない)、集団の他の人との関係が良好になったら自分が行っている認知や行動のパターンと不整合が生じてしまうから、関係改善なんて行いたくない人との関係改善は、どうすればいいのん?と途方にくれたんですけどね。

(たぶん続きます。)

2020年5月12日追記

先の記事の末尾のまとめを自分の関心に従って整理してみたらこんな感じになった。

  • コミュニケーションとは、複数人の間で行われる意見の伝達(単一方向)ないし交換(双方向)である。
  • コミュニケーション能力(コミュ力)とは、伝達力と理解力からなる。
    • コミュ力が有効に発揮されるかどうかを左右する要因がたくさんある
      • コミュ力そのものの高さ
      • 環境
      • 参加者間の関係性
      • 参加者それぞれの動機
      • 制約、などなど
  • 純粋なコミュ力というものもなくはないが、いろいろな要因によって発揮されたりされなかったりするのが普通
    • 例えば関係性が悪くて、(意識してかせずか)友好的な対話を拒んでいる人がコミュニケーション力を全く発揮しない、ということがある
  • よくある誤謬
    • ある(人の)視点からみて、他者の伝達力や理解力を一方的に評価してしまう
    • 関係性や動機を軽視してしまう

だいぶ自分の関心が明らかになった。ちなみに「これまで主流だったり有名だったコミュニケーション教育の功罪とか問題点」にはあまり興味はない。