(無題)

前回の投稿からずいぶん間が空いてしまいました。

新しい生活様式

コロナ禍で生活が大きく変わりました。大きいのは仕事で、同じ会社に努めて同じ仕事をしているのですけど、基本的に今後ずっと在宅勤務ということになりました。なんと通勤定期がないのです!

通勤しない、オフィスに行かないということが、心持ちを大きく変えました。

まず、歩かなくなったので運動不足がひどくなり、しっかりと太りました。通勤しているときと同じだけ(ただ健康のために)歩くというのは現時点ではとても難しいです。これは本当に困った問題。

あと、会社の人達の顔を見ない、かれらの会話や発言を聞くことがないということが、ものすごいストレス解消になりました。チームを組んで協働作業をすることはあまりない関係であっても、同じ部署にいる人達のことを僕はなぜかとても気にかけており、彼らと協働するときの心の準備をいつもずっとしていたのでした。彼らの発言から彼らの心情や思考をおもんばかり、かれらとよい関係を築き、よい成果を上げられるようにするにはどうしたらいいのか、ということをことあるごとに考えていたのでした。でもそれもすっかり考えなくなりました。僕は僕の仕事を、ワークライフバランスのなかで考えている、ただそれだけです。

時折ちょっと不安になりますけれども、というのは不要不急のヒューマンタッチが極めて少ないことに対してですけれど、これもひとつの経験としてなにを得ることができるのか考えていけばいいのでしょう。

職住接近というか同じ場所で行うのは新鮮です。僕は自宅大好きな方なので自宅勤務は全然つらくありません。少なくともいまのところ。

勉強会は2月以来開催していません。物理的に同じ部屋に集って行う勉強会は当分無理でしょう。オンラインなら可能なので、オンラインで(形を変えつつ)再開する方法を模索していますが、直接会話する・できるわけではないと思うことで、若干トーンダウンしてしまっていることも否めません。まあ、これもぼちぼちやっていきます。

社会との関わり感がより薄くなり、マスメディアやネットにより頼るようになると同時に、マスメディアやネットそれぞれが持つ語り口に違和感や不快感を覚えることも多くなりました。

僕は80年台に青春時代を送っているので、テレビのようなマスメディアのありように適合し(すぎ)ています。「なにか面白いテレビやってないかな」「ぜんぜん面白いテレビやってないな」みたいなことすぐ言うメンタリティですね。それを根っこに持ったままネット時代を生きるのはけっこうやばい。「みんな」とか「普通」とか「最近」という概念を多用したりして、評論家気取りの上から目線のクソツイートしがちだったりとかですね。

そんなものはない、あるのは無数の個だけだ、という認知の上書きを日々してます。