(近況)

仕事が今山場で、なかなか厳しい状況が続いています。それ以外のことに使えるエネルギーが出てこない。いろいろ放り出していることがあります。すみません。

社会との接触が極めて少なくなっているので、気持ちが楽な部分と、失われてしまう部分があります。しばらくは流れのままでいいかなと思いつつ、意識すること、言葉にすることも大事にしたい、自分のものとして生きることも大事にしなくては、と思っています。

もう少し具体的に書き残しておきましょう。日記なので。

名古屋グランパスは今年はとてもいい。選手たちが自信を持ってプレーしていると感じます。これまでにやってきたことが繋がり機能することを実感し、それを積み上げまた積み直すことを自分達のこととして十全にやれているように思います。よかった。これが見たかったグランパス。8月以降あまり勝てなくなってきていますが、今のグランパスならそこからまた学び伸びてくれると思えます。オーレグランパス

Twitterはいろんな顔を持っています。繋がりを与えてくれたり、良い言葉を伝えてくれる、こともある。良い面もたくさんあります。けど本質的に、反射的に思ったこと、心の声がダダ漏れになるシステムであり、人間の弱いところが垂れ流しになるシステムです。他者を傷つけたり分断を煽ることも多い。人類には早すぎたのかもしれない。

例えば、愛知県知事のリコール活動が今行われていて、その活動の発起人のひとりのTwitterを見ましたが、もう本当にひどいと思いました。オーナーの放言と、賛同にかこつけた罵詈、反論の体の雑言。他罰、便乗、分断、非難、暴言、罵倒、エスカレート、露悪、ヘイト、醜悪をここまで極めたものは他にあまり見たことがありません。人間がなし得る最低のモノのひとつがここにある、と思いました。*1

誰もが心の声をもっています。頭に浮かぶ言葉、ふっと口にでる言葉があります。心の声にはいいも悪いも正しいも間違いもない。ただのつぶやきです。そこに繋がりや何らかの発展を可能とするという試みは斬新ではありましたが、それによって分断や憎しみや悲しみも大量に生み出しています。ただのつぶやきはただのつぶやきとしてひっそりとタイムラインを流れて消えていけばいい。リツイートしたりリプライしたりおすすめしたりまとめたりブクマしてコメント付けたりネットの声として記事にしたりするのは、やりすぎだと僕は思います。僕はもう、そういうものは他人事、別世界のものとして極力接しないし、けして心を預けないことにします。

*1:それを眺めて平気でいることはなかなか難しいのですが、例えば現代美術作品だと思えば少しは耐えられるかも、と思いました。それで余談になりますが、これが公金を使った美術展の企画だったらどうでしょうかね…なんて思ったりもしました。