お父さんの借金は全部返したので芸能界は辞めますってなんという潔さ

モンキー高校と侮蔑される教育困難校の実態 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

これが現実なんだろう。まだ十分に自我や行動をコントロールできない子供達がこのような状態になるのは想像できる。彼らが十分な教育を受けられない状況は非常に歯がゆい。
この現状について学校側、教師側を責める気は僕にはない。しかし、上記の記事では子供達の惨状に対して教師はひたすら注意を繰り返しているばかりなのが気になった。レポートの筆者がそこしか見ていない・書いていないだけかもしれず、僕が誤解しているだけかもしれないが。言うことを聞かない子に対して叱る、というアプローチはあまり有効ではない。子育てなど子供と一定の時間を過ごした経験のある人なら理解できるだろう。
もっと別の方法、アプローチが可能ではないのか。教壇から教師が指示したとおりに生徒たちが振舞うというモデルに固執して、目的を見失っていないか。結果のために手段を工夫するのがプロなのではないか、と思う。現場の教師にそんな裁量も余裕もないのだろうが、それは別の話だ。関係者が協力して、問題解決を図ってほしいと切に願う。

なぜあの絵が性的に見える人/見えない人がいるのか - nomolkのブログ

この分析は正しいように思える。その世界にいる人は記号を読み取って楽しめるし、そうでない人は読み取れないので別の解釈をせざるを得ない。
問題は、あとふたつあると思う。
ひとつは、なぜそれを若い女性を素材に行なうのか、と言う点。例えば、みんなが大好きな猫とかではなぜだめなのか。
もうひとつは、なぜそれをソーシャルに行なうのか、という点だ。なぜ商業化し、公共の活動に用い、SNSでアイコンに使いキャプチャ画像を拡散するのか。黙って自宅PCでだけ楽しむのではなぜいけないのか。
どれかを止めるべきではないだろうか。若い女性を素材に使う、記号を埋め込む、ソーシャルに消費する。いずれかを止めれば、既存の芸術や娯楽と変わらないので反発されることもさしてないだろう。

明日は我が身的に考えてみると

例えば、男性の頭髪や体臭のバリエーション毎に意味づけがなされ、バリエーション毎のキャラクターがティピカルな道化を演じるメディア作品が多数提供され、SNS等で巨大なクラスタに面白がられ、二次創作とかもされ、あげくに公共のポスターや町おこしに利用されるようなものだと思うが、どうか。