僕達はもっと気軽になんでも当たり前のように話し合うといいのでは

NHKの朝の連続ドラマ「べっぴんさん」を楽しみに見ています。先週は、主人公の娘婿の空回りが描かれていました。面白いと思ったのは、主人公もだんなさんも、娘も、そしてその婿さんも、みんな相談せずによかれと思って行動して、ちょっとした騒ぎになるってことを繰り返していることです。

それはドラマの話であって、それ以上ではないのですが、でも、相談するよりも行動して、よしなに計らっておきました的に済ますとか、それならもう手を打ってありますってなるのがいい、ような美学が、言われてみればあるような気がしますね。

ピクサーやディズニーの作品制作のような、とにかくコンセプトアートを作ってはディスカッションをする、をひたすら繰り返すようなやり方は、先に述べたような黙ってやるやり方をしている自分の無意識を疑わないと、身につかないのでは、と思うのですが、どうでしょうか。これはこのブログで最近度々取り上げている牛尾さんの文化インストールとも繋がる話かと思うのです。

この「黙ってやるやりかた」でないといけない理由って、それほど(というのは、他のあまたの日本人気質群のなかで、ということのつもり)強くないので、これくらいなら、うまくやれば変えられるかもしれない。次の世代のために、ちょっと変えてもいいんじゃないか。

そんなことを、みなさんに相談してみたい。です。