コミュニケーション下手

例えばですよ。。。仕事とかで、共同作業者の人が、危なっかしいやり方をしていたり、手順を飛ばしているように見えたり、視野が狭くて合わせて見るべきところを見ていないとか、結果的に失敗しているようなのを見たりするとしますね。なにやってんの!と反射的に思い、注意したくなります。相手が言いやすい人だったらすぐ言うでしょうね。言わずにただ思っているだけのこともあります。

言わないでいると、それらがストレスとともに蓄積沈殿していきます。同時に、あの人は気が利かないとか、責任感がないとか、向いてないとか、そういうレッテル貼りをしてしまいます。*1

言うなら言うで、言いやすい相手だと気楽に、なにやってんの、こうじゃないの?みたいな、嫌われNo.1の責めなぜを繰り出してしまいます。あるいは意識が働けばもう少し穏当な言い方になりますが、相手のなぜそうしたか/しなかったかの説明が納得いかなかったり、自分の助言が響かなかったり受け入れてもらえないときには、やはり他責感の強いいやみな言い方をしてしまうことが多いです。

結局、自分の経験を活かして他人に助言をしたい気持ちが出発点で、それ自体はうまく活かせばまちがいなくいいことなのですが、うまく伝えられないがために無駄になったり逆効果になっていると思います。

どうして僕はこんなにも言葉で他人に働きかけてよい変化を起こすことが下手なのでしょうか。あるいはコミュニケーションというのは難しいのでしょうか。あるいは、できないことをできたいと思って苦しい気持ちになるのでしょうか。

これが気まぐれで道端の植物にたまに水をやったり雑草を抜いてやったりしているくらいのことなら、うまくいってもいかなくてもそれほど気にはならない。でも仕事とか生活とかだとだめですね。

おおらかでないのは余裕がないから、余裕がないのはたぶん、自分が自分の気持ちの主人公じゃないから。自尊感情が低いから、でしょうか。このあたりは引き続き考えてみます。とりあえず今日はここまでにします。

*1:レッテル貼り:ストレスを溜め込み過ぎないためにはそういう気持ちのバイパス作りが必要なのでしょう。そして一度それをすると、こんどはそれを多用します。自分のレッテル貼りが間違っていない証明をしたくなる。それによって自分のストレスの逃し方を正当化したいんでしょうね。