2018年を終えて、年末に思うこと

素直になれない気持ちはわかるけど、もうわかってはあげない方向です

世の中には不均衡はありますし、避けていること、隠していること、許せないこと、取り返しのつかないこと、いろいろあるのもわかります。でもそれらに振り回されて余計な痛みを引き受けることはいやだ。痛みを隠して振る舞うことに酔うことで代替とすることはできません。コミュニケーションは対等に、言われてないことは知らないことだし、言われたことにはできる限り応えようとする。そういうシンプルなコミュニケーションしかできないです。ひねくれたものの捉え方や考え方や表現の仕方には、シンプルに、わからないですね、賛同できないですね、いやです、と答えます。決別の宣言です。2018年、まあ、平成とともにさよならを言います。

人は見て学んで成長して文明や文化さえ築いてきたけど、それだけじゃ

子供はそうやって言葉を覚え世界を知るわけですし、とりあえず周りを見て形式的に従うことが出発点になるのはわかります。でも、そればっかりでは。どんなことでも自分の外に軸を置いたら振り回される宿命になってしまいます。自分で判断するしかない。とりあえずこれまで通り、みんながやってる通り、から抜け出せないのはだめです。そんなのにはノーと言いますよ。それで僕が出せるものはちんけで不十分で非難できる点は多々あるでしょうが、主体性を持たないで残りの人生を生きるなんてまっぴらです。